法政大学学生会館のこと

先週、高円寺のマヌケゲストハウスで飲んでいた時に松本哉さんから聞いた、法政大学学生会館の話が面白かった。

学部時代に法政大学に足を運んだ時、なんだか異様な存在感を示す建物があったのを覚えている。夜9時を過ぎても大音量のギターとドラムの音、劇団の発声練習が響き、蛍光灯の明かりを煌煌と放っているコンクリートの巨大な塊。それが法政大学の学生会館だった。恐る恐る足を踏み入れてみると、壁という壁には無数のビラが貼られ、アジテーションやセンチメンタルな詩が書き殴られ、ビール缶が無造作に転がり、扇風機の風に吹かれて洗濯物が廊下にはためいていた。そこに居座り続けることで生まれる身体とモノの独特の密度がコンクリートの中を満たしている、そんな空間だったのを覚えている。

この学生会館、話を聞くと70年代に当時、学生会館学生連盟が大学当局との交渉の末、自分たちで設計者を選任し、大学当局に認めさせて建設に至ったのだという。68年の東大安田講堂の攻防から数年後、各大学ごとに運動の拠点となる場所が必要だという議論の高まりの最中に、この学館構想が出てきたという。建築家は、法政大学の建築学科教授、故河原一郎氏。前川國男の弟子で、イタリア中世都市の広場を研究していた人物だ。(当時、法政大学学生新聞会だった松本氏は、本人へのインタビューを敢行していた)

学生会館は何よりもまず、大学当局ではなく、学生の自治の意思を(全てではないが、その一部に)設計理念として取り入れているという、松本氏曰く「奇蹟のような建物」だったらしい。河原氏は当時の学生運動に理解を示し、学生会館の建築デザインの中に様々な「自治」の思想を注入していった。学生サークル棟では、中心に広場的な吹き抜け空間を作り、各部屋が完全に孤立しない配置になっていたり、建物の入り口の階段は、そこに集まり、座り、演説できる場として使えるよう緩やかな勾配をつけたり。また、学生にとっては「開かれた学生会館」であるが、大学当局や権力に対峙するときには、ここに立て篭りできるように設計されていたという。外部からの進入を防ぐために入口がL時に折れ曲がっていたり、2階窓は投石を考慮して小窓になっていたり、裏口から逃げる通路があったりと、まるで砦のようだ。

「昔はみんな学生会館に住んでたよ。洗濯機もキッチンもあったし。あと、自主管理講座もあった。ほら、当時は大学解体が叫ばれていたから、学生による大学の自主管理が、ある意味で学生会館の中では実現していたんだよね。なんせ授業してるんだから、学生会館のなかで。学生会館学生連盟の組織図だって、今見てみると、本当に綿密に組織化されていて、運営組織としてもすごかったよ。」

学生会館は、古い大学の殻のなかから生まれたもう一つの大学だったのではないか。

「へ〜、そんなに素晴らしい場所だったら、取り壊しの時はさぞ残念だったんじゃないですか。」と僕が聞くと、「まあ、それはそうだね。大学の中で自治の空間がなくなってしまうわけだし。でも、実際に組織が小さくなっているのに、あの規模の組織図と建物を維持するのはすごく大変だったよ~。実際、ひとりで何人分もの仕事しなきゃならないから、負担になっていたしね。」との返事。

そうか、どれだけ理念が体現された建築であっても、時代や状況とともに物理的な空間とそれを使う人たちの意図が合致しなくなるのが建築の宿命なのかも、と。(その分、放棄された空間には新しい用途のための自由な余白も生まれてくるのだが)

当時の学生運動の各派の館内での争いや、学館内組織や管理についても少し話てくれたけれど、まずはそんな建物だったということを初めて知ったのでメモ代わりに。

<粉川哲夫氏インタビューより、法政大学学館について抜粋>

"僕が法政の学館を面白いと思ったのは、政治的なアートの空間だった点です。主催者たちが、政治文化のイベントを実際に運営してきたからなんですよ。都心でね。ささやかな形や臨時的な形ではあったかもしれないけれど、一つの政治的かつアート的な「イベント・スペース」として、刺激的なイベントをやり続けてきたところは他になかったわけですよ。スペースはあったとしても、イデオロギー的な、つまり路線がはっきりしていて、色々な出演者が登場する事は難しい場所が多かった。そういう仕切りを外しということでしょうね。当時の学館内は党派のせめぎあいの場だったから、運営していた人たちは「狭間」をくぐってやっていくのは非常に難しいって言っていたけどね。法政は非常に戦略的に党派の間を縫って、クリエイティブなイベントを打つということをやってきたんだね。"

「民衆建築」って分野が欲しい。

当時の法政大学学生会館の写真はこちら 

  1. 松本氏によると、建設計画時には学館設立委員会という組織が当局と交渉し、学館の完成後、自治が始まってから学生会館学生連盟が設立されたという。この学生連盟の中に、各学部自治会、体育会や応援団、サークル団体(第一文化連盟、第二文化連盟、学生団体連合、任意団体連合)、学術団体(学生側の研究団体)等々のさまざまな団体が加入していた。学館を運営する主体が学生連盟で、事務局は鍵の管理やその他日常業務、事業委員会がライブや演劇とか、授業、福利厚生などを担当しており、基本事務局も事業委員会も黒ヘル系。中核派は学館管理には手だしできなかったとのこと。