『「黒と黄」香港雨傘革命について』の備忘録

「黒と黄」香港雨傘革命について重要な論考の一つ、「Black Versus Yellow.Class Antagonism and Hong Kong’s Umbrella Movement」が日本語訳で読めるようになっている。アメリカのWeb Zine「ULTRA」に掲載されていたこのテキストはlibcom.orgという社会問題や運動を扱うサイトに掲載されていた。

ブログ「雑記」より、『「黒と黄」香港雨傘革命について

を読んで、簡単にまとめてみると...

 香港対中国本土の対立という主流メディアの報道で隠蔽されているのは、香港という都市そのものがグルーバル資本主義の実験場であり、アジアにおけるその 前線でありつづけてきたという都市の歴史的性格がはらむ階級的矛盾である。民主的普通選挙の実施という要求への過度な注目は、香港という都市の中で、一握 りのグローバルエリート&裕福層、そして平均時給390円の労働者、若者、そしてさらにそこから外部化されている香港への移民の人々の不平等な関 係性によって噴出している生存をめぐる諸問題(労働、住宅、食料、教育、医療の問題)から目をそらせる結果につながっている。

 今回のオキュ パイ運動の内部でも、この矛盾は内在している。「民主」的選挙の実現を過度にを標榜する(凡民主派)ポピュリストグループは、中国共産党と実際に中国から やってくる人々を混同し、香港内での経済的矛盾をうやむやにしたまま運動を無力化させ、さらには右翼的排外主義を伸張させる恐れがある。また、このポピュ リズム的オキュパイは、2011年に行われた最初のHSBC(銀行)のオキュパイ運動が志向した「未来なき世代(若者世代)」による資本主義に対する根本 的な異議申し立ての経験を隠蔽する結果にもなってしまっている、と指摘している。

 長期戦に入り、報道も少くなってきたが、香港を対本土という視座だけでなく、グローバル資本主義の一極として捉え直すこと。そしてこの都市に住む人々の 労働、住居、食の権利を巡る階級対立、そして運動内での「未来なき世代」である若者たちの切実な生存の権利への要求と89年学生民主化運動世代の回顧主義 的「民主化」要求の相違が、この運動の内部と外部を貫く闘争線であるということを忘れてはいけないように思う。