【NoLimit東京自治区】とはなんだったのか?

01.

アジアを中心に世界各地で出会った友人や、そのつながりで来た人たちが一同に東京の各地に集まり、1週間寝食を共にする、これが今回の「NoLimit」の本当の醍醐味。イベント、トーク、ライブも凄く良かったけれど、その前後の時間の帯(食べる、飲む、寝る)をみんなで共有できる、というのがとても大事だったと思う。余白の時間を共有できている限り、オーディエンスとアーティストという分断を過度に意識はしない。あとなんといっても海外の人からはイベント、宿泊、食事のお金を取らないと決めたこと。これは、本当に革命的。もっと言葉を費やす必要あり。

そこが、巨大ロックフェスやアート国際展と決定的に異なる点。

02.

ハーピーさんと話していたけど、【無料】にすることの効能や影響は想像外のところで発揮されている。例えば、過密状態のマヌケゲストハウス滞在で、もし少額でも宿泊代をとっていたら、寝場所を提供する側・してもらう側という関係に、金を支払う側(客)・受け取る側(主催)という別の項がはいり、より複雑になって、たぶんたくさんのクレーム(シャワー少ない、寝るスペース狭い等)が出てきて、対応不可能だったかもしれない(まあ、今回は、みんな松本さんの好意と努力でマヌケゲストハウス解放が可能になっているのを知っているから、怒る人とかはないと思うけれど)。無料だったから、参加する人も受け身でなく関わる余地、余裕が生まれて、結果的により大きく、そして持続する協力関係が築けていける。提供できる資源や労働の容量を越えない限り、無料で提供するというのは、理念的には社会的関係をより対等で自発的なものにしていくための、実践レベルでは無駄なトラブルや負担を回避するための合理的なやり方なのだ、と気がつかされた。

(でも、普段ゲストハウス営業している時は、支払って泊まろう。)

03.

朝起きて、北仲通りを歩くと台湾のパンクスたちがしゃがみこんでタバコを吹かしていて、次の小さな小道を曲がるとマレーシア軍団が味噌汁のお椀片手に立ち話してる。なんとかバーに入るとバラバラの国籍の人たちが一緒にオニギリをモグモグ頬張っている。どの国の人たちともかつてそれぞれの国で出会ったことはあるけれど、これだけの規模でお互いがお互い同時に会うなんてことは全くの初めてすぎて、これまでにない感覚。プレイベントでのライブで、北京のミュージシャンの演奏に盛り上がりまくっている観客の半分以上が台湾人で、でもその場所は東京の高円寺、ということに気づいたときから、この感覚が持続している。地理と人の配置が捻れたような、インターネットの同時性、双方向性がリアルに現れたような世界(それもインターネットでは実現できないかたちで)。死ぬ前に走馬灯で見れたらいいなと思っていたような光景を現実のものにしてしまった【NoLimit東京自治区】。

アジア桃源郷。

04.

最終日、新宿駅東南口にてA3BCの上岡さんから香港、台湾の人たちへと東京自治区の旗が贈呈される。こうやってアジア各地(ドイツも)に「NoLimit」の1週間の歓待、交歓、贈与の連鎖の象徴としての旗が散らばっていって、次回どこかでNoLimitが開催される時は、各地のマヌケたちはこの旗を目印に集まることだろう。それはまるで、南太平洋の島々で、人びとがお互いに財物を送りながら、島を訪問しあう「KULA」のようですらある。既存の境界線を越えて繋がる文化/社会/経済、そして情動の回路を作りだすこと。外からは分かりづらいイベントと言われた「NoLimit」だけど、どのような出会いのなかで、どんな時間を共に過ごせたかで、その経験は個々に違うし、複製的な追体験だけで補えないモザイクで描かれた「もう一つの世界」だった。それぞれの感想や言葉をたくさん聞いてみたい、と思う。新宿で松本るきつら氏がぽつりと一言。「このイベント、準備だけでも大変だったし、不安もあった。始まったら始まったで大忙しで疲労困憊だったけど、不思議とストレスはゼロなんだよな。」

エネルギーを自分の望む方向へと純粋に出しきった感覚なんだと思う。