朝5時近くになって急に周囲がドタバタし始める。もう出発の準備をしているみたいだが、明け方まで寝付けずにいたので布団から出ないままでいる。みそ汁やご飯をよそったり、椅子を引いたり、寝ている僕の上をせわしなく飛び交ったり、車のエンジンが近づいたり、遠ざかったりする音がしばらく続いた後に再びトゥータン屋に静けさが戻る。朝にはN4ゲートへ訪問する。トディさんからコーヒを入れてもらい、リンゴもいただく。N4は外部から高江の座り込みに参加する人たちのための案内所になっているで、入れ替わり立ち替わり新しい訪問客がやってくる。
午後には空は急に曇りがちな天気へと代わり、強い雨が降り出す。昨日からの心身の不調か、頭に熱を持ちはじめトゥタン屋に戻り、布団を敷いて寝る。窓の外はしんしんと降る雨。こんな雨のなか自分は布団にくるまっているが、他の支援者は雨合羽を来てゲート前に立っているのだろうと思うと恥ずかしい気持ちになる。雨でも風でも台風の日であってもずっと座り込みは続いている。その継続されている時間の強度について、その強度を作り出す人々の行為の規律について考える。まるで、仕事の時間であるかのようにきっちりと朝5時には起きて、みんなで朝ご飯を作り、食べ、6時のミーティングに間に合うようにトゥータン屋を出る。ここには毎日の行為の積み重ねによって築層されてきたある自律的「規律」があるように思う。トゥータン屋とは、闘争が日常になり、日常が闘争になるこの不可分の領域を日頃から支える運動の社会インフラだ。外部の訪問者はまずここで受け入れられ、すでに座り込みに参加している人たちとの交流の中でこの闘争に関わるための不文の規範を身体化させていく。また食事や宿泊の場としてのトゥータン屋は、疲れや空腹を癒すと共に、<ゆんたく(語らい)> の場所として運動に関する議論や情報交換の場としても機能している。トゥータン屋は闘争を継続する身体を再生産させてゆくための場なのだ。
Chikaさんに薬をもらい3時間くらい睡眠をとる。夕方5時くらいに起きるが、雨は以前より強く断続的に降っている。トッコさんたちが帰ってきて、そのまま共同売店に今晩の食材を買いに行く。今日の昼のイノシシ鍋の残りのスープでカレーを作ることに。天馬さんに野菜をいためてもらい、最後は自分が味付けを調整。こってりしたカレーだが、ご飯とよく絡み合って旨いので、すこしだけ元気がでる。夜はメインゲートに向かう。先日よりも気温が上がっていてそこまで寒さに苦しめられずにに過ごせた。9時以降ゲートが閉まると車をゲート前に2台停車させ、その中で一晩中泊まり込んで監視活動を継続させる。座り込みを継続しているその淡々とした時間の経過そのものものが高江の現実なのだ、と実感した。