自民党による「特定機密保護法案」のなりふりかまわない強行採決が進む中で、建前上だったのかもしれないが議会制民主主義国家としての日本が壊れてく瞬間(自民党政府、官僚による国民の諸権利へのテロ行為)をまざまざと目の当たりにしている思いだ。放射能汚染も抱え、自民党と官僚統治の全体主義化、そしてかつて戦前、戦中のように住民同士の相互監視、密告の歴史的土壌があるこの国家に自浄化能力はない。この国の歴史を少しでも振り返るとそれはよく見えてくるかもしれない。
琉球朝日放送報道部「特定機密保護法案 沖縄への影響を考える」→ http://www.qab.co.jp/news/2013120448174.html
沖縄戦の研究する石原教授は、今回の法案に強く反対する一人です。それは、沖縄の住民がスパイだと虐殺される根拠になった法律「軍機保護法」をなぞる内容だからです。
石原「軍機保護法を下敷きにしたと思われる秘密保護法が制定されようとしているのは沖縄にとっては本当に沖縄戦再来の前夜。」
「軍機保護法」。明治32年に交付された、軍の機密を犯す者を罰する法律で、日中戦争さなかの昭和12年に改正された時には「外国のために行動する者に漏洩したら死刑」と極刑になります。沖縄戦の住民虐殺の根拠になったのは、この改訂版です。
石原「軍民雑居で、陣地作りに総動員されていったということで、軍人同様軍事機密を知ってしまった。だから、敵に捕まる前に死んでもらう。」
「生きて虜囚の辱めを受けず」という精神論は表向きで、住民が捕虜になって機密が漏れるよりはスパイ容疑で処刑する」か、「自決」に追い込む。軍の機密を知る住民は不都合な存在とする「軍機保護法」が生んだ悲劇でした。
「特定機密保護法案」は今すぐではないにしろ近い将来にこの社会の精神的統制と監視-ファシズム化の典拠となるだけでなく、国民に対する暴力の組織的運用の基盤になるのではないか。現に今の安倍政権中枢から聞こえる、「デモ=テロ」発言はすでにこの法案を何故自民党が押し通そうとしているかを十分に語っている。自分たちに異を唱える国民をテロリストとして処罰できるようにするためだ。そして、沖縄戦での日本軍による沖縄諸島住民への集団自決の強要が、「軍機保護法」という明治32年に交付された軍事機密を漏洩した軍関係者への処罰を目的とした法の拡大解釈が行き着く果てであったことを知れば、政府にとって国民とは「国家の秘密の保持」の名の下にいとも簡単に処分できる存在と見なしていたことは明らかだ。
確かに東アジアの抑圧的統治体系はどこも救いようのないほど愚かで残虐だ。でも、どこの国でも少なくない人々が抵抗、抗議の声上げ、戦っていたりする。国境を越えて連帯するということは、そのような人々と共にそれらの国家を離脱する実践的方法論を練り上げることだと思う。
アマゾンに住む先住民の人々は、かつて中南米アメリカにあった諸帝国(インカ、アステカ等々)から自発的に離脱した人々の政治的集団だったことをフランスの人類学者ピエール•クラストルらの仕事は明らかにした。このような「離脱」の抵抗と実践がこのDV的な国家と国民の隠れた相互依存関係(もちろん、国家や官僚制度とは基本的に宿主たる国民へ寄生虫的に依存してるという大前提の上での話だが)をご破算にし、望むべき/来るべき人間社会の小宇宙を今、生ある時間の中で作り出すことができるのではないか。議会制民主主義と官僚制国家システムが自ら暴走して、さらに多くの人々の犠牲を求めようとしている今、私たちはそうそうに国家と官僚を見捨て、自分たちの社会実験を一から始める時期にさしかかっているように思う。
国家と官僚制度は自ら引いた国境をまたぐことはできない。官僚的組織内では自分の考えに基づき発言したり行動したりもできない。思考できず、移動もできない組織体が国家と官僚機構だ。だからこそ道連れを、生け贄を求める。私たちはちっぽけながらも自分で考え、自分で行動できる。分子状に散らばり、国境も越え、別の場所の人々と再結合していく(同じような動線を描くグローバル資本とどう向き合うのかは新たな課題だが)。この個々の自律的思考と行動の様々な様式を世界のあらゆる場所で作り出すこと、そこに創造性を賭け行動していくこと。これはあと1.2年という時間との勝負かもしれない。