新宿のInfoShop「IRA」で購入した「大正アナキスト覚え書き」の中におさめられていた堺利彦の短い一文が目に留まった。大正12年9月1日の関東大震災の後、陸軍によって大杉栄が虐殺された時のことを回顧したもので、仲間や大杉が殺されたという報を獄中で受け取るやいなや「いきなり後ろから頭を3つ4つ、樫の棍棒か何かで続けざまにどやしつけられたような打撃を感じた」と書いている。
そしてこれを堺は「肉体連結の感」と言い表している。それは「我々は皆互ひに、直接あるいは間接に連結した肉体だと考へること」であり、仲間がやられたということは「私の肉体の一部がやられた」のと同じ感覚だというのだ。
このような「肉体連結」の感覚の共有が「運動」を「運動」たらしめていいるものではないだろうか、ふと思うようになった。広義の主義主張、立場は必ずしも同一ではなかった大杉と堺の間に、このような共有された身体と感覚が生みだされ、それは他の仲間にも分有されていたという点に目を向けたい。
なぜならここまでとは言わないが、やはりここ数年、自分と自分が出会ったアジアの友人たちとの間で漠然と、おぼろげながら何かを「共有」しているという感覚が生まれてきたからだ。そしてそこにこそグローバル資本主義と抗するかたちで、国境、国家、人種、性差の分断線を乗り越えて地球民衆として「共通のもの(コモン)」を取り戻す術があるように思えてならない。
ここではまだそれが何なのかははっきりと書く事はできない。しかし最近、素人の乱の松本さんとよく話す「マヌケ」という言葉が、その「何かしらを共有した」心地をおぼろげながらも核心的に言い表しているように思う。「マヌケ」についてさらに考えてみたいと思っている。