小倉角打放浪記

先週、キルギスのドキュメンタリーを作っている博多っ子純情ことAtsushi Kuwayamくんが案内してくれた「北九州角打ツアー」が、やたら楽しくて印象深い街歩きの経験だったのでちょっとした備忘録をここに。

知っている人も多いとは思うけれど「角打(かくうち)」は、普通の酒屋で酒を購入して、そのまま店内で飲むことのできる場所のことだ。飲食店ではなく、酒屋で販売した酒をお客さん達(勝手に)飲んでしまうというアクロバティックな解釈によって成立している酒屋。酒を飲むことに関わる既存の法規制から限りなくずれてゆこうとする態度がすでに挑戦的ですらある。

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でもそもそも角打が北九州で流行った理由は、実にこの街の実情に合ったものだった。鉄と石炭の街、北九州では八幡製鉄所をはじめとして日中夜問わず稼働する工場が多く、そこで働く労働者たちは交代や休憩のわずかな時間に酒屋に入り、そこで1,2杯注文してさっと飲み干して帰ってゆく飲み方をしてたという。そんな彼らのニーズから生まれた酒と社交の場が角打であり、今でもここ北九州にそのような場が点在している。工場の衰退と共に少なくなってきているというが、それでも他の地域に比べたらまだまだ多い。労働者たちの労働と暮らしのリズムが生み出した「街飲み文化」だと言える。そういえば人類学者のグレーバーも、良き文化というものは、すべからく労働者階級が生み出して来たのだと話していたっけ。うんうん。

そんな角打ツアーに、韓国人の友人で文化経済政策の若手研究者リュウくんと、福岡に滞在研究している釜山発展研究所のオウ先生を誘ってみた。最初は大勢でわいわいと居酒屋的イメージで考えていたけれど、外の人間が大勢で入るのは無粋ですよ、というアツシ君の助言もあり少人数で行くことに。北九州の角打は初めてだったけれど、どこの店も本当に面白い。外見は普通の酒屋。大正初期から営業している由緒正しき酒屋の店内にはカウンターがあり、昼過ぎにもかかわらず近所のおっちゃんたちでにぎわっている。お店のおばちゃんにことわって、ビールを冷蔵庫から自分で取ってくる。つまみは缶詰や乾きもの、そして簡単な自家製の小料理の品ぞろえ。大瓶のビール2本とつまみ2点くらいで1000円ちょっと。で、4人の大人がにやけた顔しながら、韓国式でビールを注ぎ合う午後3時。

リュウ君曰く、韓国にも南部の方には立ち飲みで飲む店があり、その呼称を「통영다치(トンヨンダチ)」と言うので、「Tach-Dachi」という似た音 が共通して入っていたり、天ぷらやタコの干物等のつまみの類いが似ていたりと何かしら共通するものが多々見つるという話で盛り上がる。これは面白いという ことでオウ先生と韓国南部と北部九州の酒と食の民衆交流史の地層を掘ってみようという話に。韓国には「酒を飲むなら昼の酒」というありがたい言葉まであるらしい。

そんな風にして、次から次に吸い込まれるように酒屋に入っていく。ほろ酔い気分で若松の人通りの少ない商店街を歩いていると、あの空家で何をしようかしら、おやこっちのビルはまたいい造りだなぁ、ゲストハウスにちょうど良さそう、などと都合の良い妄想も膨らんでゆく。雨上がりの夕暮れ時、若松の街並が淡いオレンジ色へと塗り替えられてゆくその一瞬、過去にこの街に住んでいた人たちの声や姿が、路地を透かして浮かんで見えてくるようにな気にさえなる。路地に隠れていたゲニウス•ロキたちが、「うつつと夢」の間に漂う自分のまなこの前をさっと横切っていく。今はどんなにさびれていようとも、このように過去を想起することで、かつて見た/まだ見ぬ/見るかもしれぬ街の相貌(by アツシ君)が、アスファルトののっぺりとした空間を突き破りタケノコのようにあちらこちらにニョキニョキ生えてくる。

酒に酔いつつ街を歩くことは、都市の、街の経験を変容させる。機能と記号の配列がほどけ、緊張を強いられた身体は解放感に満ち、だんだんと地上から少しずつ足が離れていく。無目的かつむやみににうろうろしてしまう。そう、自分を含め、街を構成しているあらゆるモノが弛緩し、 2つの境界線があいまいに入り交じる。もちろん、それはただ私自身が酔っているからに過ぎない。でも泥酔ではない。その手前で留まりつつ、街のなかで正気と夢のあいだを歩く。

若松から戸畑へ渡る連絡船の甲板席に吹く潮風が心地よい。夕暮れ時、戸畑駅のホームで偶然、アツシくんの友人でドキュメンタ リーを製作中の荻野さんに会う。元々京都育ち、建築畑で、今は北九州の平松という漁師地区に6年間住み込んでドキュメンタリーを撮影しているという。そこまで徹底して日々の暮らしの有り様を記録しようとする姿勢に、背中の深いところを打たれたような衝撃を受ける。どんな映画になるのだろう、観てみたい。そのまま半ば強引に(?) 、門司の角打へ行きましょうとお誘いして、みんなで夜の門司港へ。今日最後の角打、門司港にある「魚住」は、小さい店だが30分ごとにおいしいお通しを並べてくれる、素敵な隠れ家のような店。母方が門司で、よく近所に遊びに来ていたにもかかわらず全く知らなかった。来て良かった。

最後の締めは、北九州の人間で知らないという人はいないという小倉駅前の名店「白頭山」にて100円ビールとホルモン焼きで、合計8時間に及ぶ小倉角打放浪記は終了。

角打の店に入ると、たいていその地域に詳しいおじさんやおばさんがいて、過去のに街の情景と人びとの姿を生き生きと話してくれる。その土地に生きる人たちの集合的記憶が、酒とともによそ者の自分の身体にも染み込んでいくかのようだ。そうか、このように街を、人びとの歴史を、暮らし知る回路もあるのか、と恥ずかしながらも改めて素朴かつ新鮮な驚きを得る。過去の街と人びとのイメージ•記憶に至る「敷居」としての角打。言葉と身体と酒。店に入る時は控えめに、でも店から出るときは愉快な足取りで。

角打とは都市の句読点なのかもしれない。それは労働の規律がキリキリと締め付けていた身体を解きほぐし、頭の中で狭められていた夢想の陣地を解放し、硬い足取りを千鳥足に変えてゆく。そして、この句読点の穴のなかで、ゆっくりと自分たちの時間を回復させてゆく。句読点なき都市は、無人工場の延長でしかない。正気の白い光が降り掛かる真昼時、角打に集まる「遊歩者(フラヌール)」たちは路上一つ一つのカーブを味わい、二重にぼやけた小道の上で不思議なダンスを舞い、都市の幽霊を再び呼び込む。あるひとつの街とそこに生きる/生きた人びとの過去=記憶と<今、ここ>で出会い直し、共に飲もうと思えばこそ。

 

「夏風や角打の背を押しにけり」 折尾の角打の軒先で、風鈴につり下げられていた一句(詠み人知らず)。

※ ということで、ぜひぜひ若松•戸畑•小倉の角打ツアー第2弾をしたいと思っています。一緒に行きましょう!