活化廳 (Woofer Ten) 02

 アートスペース「活化廳 (WooferTen)」は、油麻地、上海街に面したショップハウスの一階にある。アートスペースを名乗ってはいるけれども、いわゆるホワイトキューブと呼ばれるような白くてミニマルな空間とはいささか様相が異なっている。

ガラス窓やドアにはいつも壁新聞、告知文、新年のお札やらがぺたぺた貼られている。前の歩道には手作りのベンチが置かれていて、通りがかりのおじさんたちが座っていてガラス窓の壁新聞を眺めていたり、中国本土から観光に来た家族が腰かけてご飯を食べているが、アートには全く興味がないという様子だったり。黒いストッキングとヒールを履いた客引きの女性がWooferTenの外の壁に体を傾けつつ客を見定めている時もある。ドアを開けて中に入ると、地元のおばあちゃんやおじいちゃんたちがお茶を飲みつつ新聞を読んでいたり、中東から来た移民の子供たちが床で絵を描いたりする。路上の光景が、まるごとそのまま室内に入り込んで来たかのような空間なのだ。

室内には一目でアート作品であるとわかるようなものは見当たらない。緑色の壁には自分達で作ったポスターや張り紙があるが、内容はどうやら油麻地の地域コミュニティでの話し合いの記録のようだ。本棚があり、ベンチも置いてある。長方形の室内の真ん中には銭湯の番台のようなスペースがあり、運営メンバーは眼前に広がるに雑多な光景を横目に事務仕事をしている。低い階段を上がるとそこは地元の伝統的な看板、花牌を作る職人Mister Wonの仕事机がある。アートセンターの中に職人のおじさんの工房が入っているのだ。運営メンバーでアーティストでもある、リー•チュンフォン(Lee Chung Fong) は「いやー、最近はもう近所の人たちにオキュパイされちゃってねぇ」とのんびりとした口調で話す。そう、ここは街の人たちに見事にオキュパイされたアートセンターなのだ。

WooferTenの外観

WooferTenの外観

WooferTenは2009年から「アートはどのように地域コミュニティの活性化に寄与できるか」というテーマでこの油麻地を中心に活動している。組織としては香港芸術發展局の支援を受けているNPOで、現在の中心メンバーはアーティストのLee Cung Fung、Vangi Fongと書家/料理人のLoland Ripの第二世代だが、その他のメンバーたちや地域の人々、そして香港のアクティビストたちが共同でこのスペースを使い、展覧会やトークイベント、ワークショップを行っている。そういっても、WooferTenのコミュニティプロジェクトで商店の売り上げが上がったり、お客がよそからわんさか来る、ということは特段ない。油麻地の公園で手作り運動会をしてみたり、(香港ではおなじみの!)ゴキブリの小さなミニチュアを作るワークショップを開いたりと以外と地味だ。

WooferTenはまた、コマーシャルギャラリーの多い香港で、政治的表現や社会問題を扱った企画や展示を積極的に行っている。「64件事」は、天安門事件の記念日である6月4日に、当時の民主化運動の学生の服装をして自転車に乗り、香港の町中を巡るというクリティカルマス(Critical Mass:社会変革を意図した公共の場における集団行動)的アクションも行っているし、天安門事件をテーマにした絵画展は香港でもスキャンダラスな話題となった。

そうは言ってもWooferTenのスペースそのものが特定の政治的な指向性を帯びているというわけではないし、特段、政治的メッセージが明瞭な作品を作っているというわけでもない。新年の蚤の市をしてみたり、ペットボトルで作るガーデニング用品のワークショップをしたり、新年の書き初めをしていたりと案外普通なのだ。その理由を聞くと、「活化廳は、この街で仕事や生活を営む人たちとアーティストが一緒にコミュニティや関係性を造り出していくための色の無い容器みたいなものだから、どちらからというとオブジェよりもこの場所で生まれてくる関係そのものが作品だと思うよ」とLeeFungは答える。

WooferTenのメンバーたち

WooferTenのメンバーたち

WooferTenのホームページでは、このスペースの意図についてこう語っている。

「活化廳」是一個由十多位本地文化藝術工作者共同營運的藝術組織,期望以持續性的對話建立一個「藝術/社區」彼此活化的平台。置身於上海街,一個充滿本土特色卻又面對變遷的社區,「活化廳」期望試驗一種建立在生活關係的「社區/藝術」,並藉著不同主題的藝術計劃,引起人們對藝術/生活/社區/政治/文化的思考和討論,亦藉以打通社區豐富的人情脈絡,帶動彼此的參與、分享和發現,勾勒一小社區鄰里生活模式可能」

(グーグル日本語訳)

「活性化ホール」は約10名の文化芸術に従事者たちが共同運営する芸術組織で、「芸術/コミュニティ」の継続した対話を通じて、お互いに活性化していくためのプラットフォームを作り出すことを望んでいます。上海街を拠点とし、地域の特色を残しつつ、なお変遷を続けて行くこのコミュニティと向き合い、「活化廳」は生活関係の中で「コミュニティ/芸術」を作り出す実験や多種多様なテーマのアートプロジェクトによって、人々の芸術/生活/コミュニティ/政治/文化に対する思考と討論を引き起こし、それによってコミュニティ内の豊かな人々の情動によるつながりを生み出し、お互いに関わりあうことを通じ、小さなコミュニティの生活モデルを発見し、共有したいと望んでいます。

台湾のキュレータ、Alice Koが作ったWooferTenの活動についての短編ドキュメントはWooferTenの地域コミュニティとの普段の関わりや、香港の都市再開発と文化の問題についての語りを記録している。

WooferTenの活動の特色は、芸術を軸に据えつつも、芸術と社会の対話を促すための共通の土台(プラットフォーム)を作り出す役割を果たそうとしていることだ。普段は近隣のちょっとした問題や相談事も引き受ける町の公民館であり、同時に、香港が抱える様々な問題を議論するローカルな政治フォーラムでもある。そして日々の継続的な人々の繋がりや出会い、対話、そしてこの地域に残る文化や価値観を様々なメディア(プロジェクト、展覧会、壁新聞等々)を通して表現、伝達していく。油麻地で働く人たちの仕事にフォーカスしたトロフィを作り、それを手渡して行くというプロジェクト「多多獎.小小賞(Few few prize, Many many praise)」は、普段から当たり前のこととされている様々な都市労働の価値を再発見する試みであるが、ここではアートがトロフィーという姿をとることで、人々の普段の仕事への意識を促すメディアとしての役割を果たしていて、結果的に人々の焦点が「トロフィー(作品)」よりも「人」に移るよう意図されている。作品よりも人。

芸術が社会や政治的意識と切り離されたとき、そこには確かに美しいがそれ以上に人間の生の生々しさ、具体性、個別生、そして世界における様々な矛盾を捨象した空虚な抽象性を感じ取らずにはいられない。香港の今最も深刻な問題の一つである、新自由主義的都市開発は、この「抽象化」の具体的な様相でもある。人々の暮らしと生存は極めて不安定な競争主義的社会環境にさらされ、自己保存とカネを至上価値とした価値観の中で半永久的に競争し続けなければならない。それは社会的関係の構築ではなく、その崩壊を加速させる。結果的に生み出されるのは無関心と無責任という非-人間的態度の常態化した社会なき世界だ。

もし芸術が、個人の神秘的な創造のプロセスだけに限らず、人間の様々な価値の創出とその実践でもあるとすれば、美的•感性的情動の熱量を、資本主価値(カネ)とはことなる価値の創出や社会変革のイメージの生産、消えてゆく文化を守ることに費やすことは何ら不思議ではない。自らの創造性を「オブジェとしての作品を作る」ことよりも、「社会的諸関係の生産/再生産」に投入すること。そこで生み出された関係性そのものは目には見えないが、そこに生きる人々の間で変化し、生成し、共有されたものとして確かに「経験される」ものとなり、その継続が人々の行為と思考を変化させ、「生活」を形作り、ひいては「小さなコミュニティ」を新たに想像し、実現させていく力につながってゆく。WooferTenは、このように「社会/芸術」の関係のあり方を「生活」の中で作り出すための小さな社会実験の場だと言えるだろう。(つづく)